COLUMN
健康コラム

糖尿病との闘いの記録 その5 《温故知新》

2024/10/15

今まで四回にわたって糖尿病についての古い記録を見てきました。人類と糖尿病との長い関わりの歴史があることがわかります。
さて、糖尿病と関係が深い臓器は膵臓ですが、この臓器はいつ頃から知られていたのでしょうか。
今から千年も前の10世紀後半、大サラセン帝国の時代、マリ・イブン・マル・アバスという人が、初めて膵臓について記載しています。彼らアラビア人は膵臓のことを、「すべて 肉」という意味のパーン カラースと呼び、これが、英語のパンクレアス(膵臓)の語源となりました。もちろん当時は、糖尿病と膵臓との関係については、全く解っていませんでした。日本で初めて人体解剖を行った山脇東洋の弟子の栗山孝庵が膵臓について、胃のうしろに「膿の塊」があったと記しています。それまで中国医学の影響で膵臓についての認識は全くありませんでした。栗山も病気のため、たまたま膿が溜まっているものと考えました。
では、膵臓の「膵」という字は、どこで作られたのでしょうか。1805年宇田川玄眞という人が初めて「膵」という字を用いています。「月」は「肉」を表し、「萃」は「全て」ですから、アラビア人の呼んだ「すべて肉」を意味していることになります。実に「膵」という字は、メイドインジャパンなのです。
1774年、杉田玄白や前野良沢らは、苦心して、あの有名な「解体新書」の翻訳を行いました。その中で、膵臓は「大きな分泌腺」という意味の「大幾里児(ダイキリジ)」と訳されています。膵臓の液は消化液の一つとして既に認識されていたのです。糖尿病との関係が解ってくるのは、まだまだこれからのことです。

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